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何もできない日について考えてみた

ぶどうのイラスト
心理的・精神的な話
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最近、何もできなくなる日が多いです。
年齢、性別、気圧、そんな問題なのか否か。

似たような状況の方の参考になれば幸いです。

仕事は当然のように手につかない

まず仕事は手につきません。
他に比べると義務感、仕方なくやっているジャンルというのも大きいです。

また私の場合、フリーランスゆえ締め切りギリギリとかでもないなら、余裕があるというのも理由です(無気力よりは心配症が勝つので、期限オーバーが危ぶまれるようになればちゃんとやる)。

子供の頃は、夏休みの宿題は7月の内に終わらせる派だったのに、気づけばこの体たらく。
8月31日まで何もしない気かお主はって感じですね。

寝るのもなんだかもったいない

疲れているということであれば、1番プラスになるのは睡眠でしょう。
頭が眠くなくても、横になるだけで体力回復にもなるし、立ったり座ったりの状態よりも楽なはず。
というのも、なんだか難しい。

睡眠の場合、昼に寝てしまうと夜に眠れなくなるという理由がまずあります。

加えてそれ以上に、うっかり熟睡してしまったらどうしようという懸念も。
気づいたら夜になっていたとしたら、何もしたくない時であっても、なんだかもったいなさを感じてしまいます。
(ここで、目覚ましやアラームを付けるというのも、なんだかなーという気持ちになってしまうのです。音に過敏なのか、音を出す電力がもったいないのか)

趣味をやる気も起きない

じゃあ逆に、好きなことをすればいいのでは?
好きなことをしているうちに、少なくとも精神的なモヤモヤはなくなって、仕事や家事など必要なこともできるようになるのでは?

そう考えられればいいのですが、趣味が割と心身をゴリゴリ使うことなので、そのせいでやる気が起きなくなっているのかもしれません。

・絵を描くにも
・写真を撮るにも
・ゲームをするにも
・歌を歌うにも

それなりにエネルギーが必要なんですよね。
余暇ってなんだろ。

唯一行いたくなるのが”読書”

趣味でもエネルギーを使うとしましたが、唯一の例外が読書です。
漫画でも小説でもいいんですけど、とにかく世界観に浸る。
できればフィクション。

現実逃避というと色々考えるかもですが、要は今の思考を放棄したいのかなあと思ってみたり。

というのも、上を踏まえてみると、なんだかんだで心配神経質が出ているんですよね。
そういうのを考えたくない。
睡眠ですら懸念事項になってしまうような状況。
それゆえの読書なのかなーと。

映像よりは活字

フィクションという意味では、映像の方が没頭しやすいかもしれません。
でも私の場合、活字中毒という前提があるので、書物の方が没入しやすいです。

なんなら妄想家なので、文字だけでも十分脳内出力はできるというか(笑)
逆にはっきりした映像だと、かえって「映像を見ているだけの自分」を意識している可能性もありそうです。

ちなみに書物は読んでいると、集中し過ぎ(ある意味何も考えなさ過ぎて)逆に今どこを読んでいるかわからなくなることがあります。

別のことを考えていてわからないではないんです。

その作品のことを考えていたはずなのに、気づいたら何も考えずにただ文字を追っているような。
これってまさに活字中毒、字そのものを追っているせいで、もはや物語への妄想すら放棄している状態なのではないかなって。
……意識は飛んでないと思いますがさて。

集中し過ぎがリセットに繋がる

で。
読書のはずがもはや何も考えなくなる状態に至ることで、ある意味精神のリセットに繋がっているのかなと。
今までのモヤモヤが全部なくなってしまうことで、改めて何をすべきか、何をしたいのかを考えることができるのかなと。

要は、疲れていても、しかし色々考えることが多いってのが問題なのかと。
疲れ自体も、色々考えてる原因になってしまってますし。

そう考えると、没入できることとして、熟睡ももったいないと思わずに、精神のリセットのために行うってのもありかもしれません。
寝れば、それは意識も無になって、改めて必要なことを考えられます。
もちろん仕事とか、他者に迷惑をかけるような場合は、事前に対策を講じることが大切です。

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